コミュニティを創る「場」はいたるところに存在する!

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前回のコミュニティについての続きを深堀りします。
そこでコミュニティとは一体どういう意味で理解しているのかを調べて
みました。

 

インターネットで調べた結果
[同じ目的や問題意識を持つ「人の集まり」を,コミュニティと呼びます]
が一番理解しやすいかなと思い私も同意します。

 

その理解のもとで昨日の私見を考えてみるにつけ
理解のされ方が少しずれているのがはっきりとわかります。

 

例にだしたのはささやかな一部の人たちのものですので
参考にするのが間違っています。

 

参加した人の大半は娯楽目的であつまっているのですから。

 

ということはある程度「場」の設定に工夫が必要だったのです。
共通の話題、環境を整えてからやるべきなのですね。

 

ある有名な会社の名誉顧問をなさっている人は100歳に近い人物です。
彼は私の地方では有名で、クルーザー、ベンツのスポーツカーにのり、
どんなに寒い今日の様な日でも、朝起きて自宅のプールに飛び込んで
ひと泳ぎするのが日課だそうです。

 

彼のすることを普通の人はマネなどできません。
彼はそうすることで生きていることを実感するのだそうです。

 

彼は自分史的な日誌をかいておられます。
それにはカフェという言葉が綴られています。

 

「つながるカフェ」という本もカフェがでてきます。
私のコノサイトもカフェという言葉を使わせてもらっています。

 

すなわちコミュニティがつくれ、コミュニケーションがとれる所
「場」と定義したらよいのです。

 

この人たちが使っているカフェはそんな「場」の象徴だと思って
間違いないとおもいます。

 

それがカフェでなくて居酒屋でもなんら問題ではないですね。

 

大学や企業や行政官庁のような人たちが集まるにはすっきりと
するでしょうが、一般人が集まるにはなんか違和感があります。

 

その「カフェ」で知り合って、何を目的で会っているのでしょうか。
商売がそれでうまくゆくとか、立身出世に結びつくひとだから
でしょうか。まことにあいまいそのものです。

 

いずれにせよ過去のイギリスのコーヒー・ハウスやフランスのカフェ
は、その理由で衰退していった歴史があるそうです。

 

すなわちそこに来る人達はみんなが同じ目的や方向を持っている
方たちだけではないのです。
さまざまな思いをもってやってくるのです。

 

コミュニティと呼ぶにはふさわしくない「場」だったのです。
だからコミュニティということばは
[同じ目的や問題意識を持つ「人の集まり」を,コミュニティと呼びます]
が正解なのです。

 

反面コミュニティを形成する所を「場」と定義するならば、
いたるところに存在するともいえましょう。

 

小春日和の縁側で同じ目的や問題意識を持つ友達が集うところも
「場」の一つでしょう。

 

何故に私が問題提起するかといえば、特に最近はこの手の集まり
が増えだし、それをまたビジネスの一環に利用しようとする人たち
が横行しだしたからです。

 

しかもこの現象は生活の一部となりつつあり、いいわるいは
別でますます活発化する傾向にあるのです。

 

その原因の一つに人間同士の関係性が希薄になってきたからだと
私は推測します。でもこの現象はしばらくの時間は続くでしよう。

 

どの世代にもある、人間であるが故の必要悪のように
私にはおもえますが、あなたはどうおもわれますか。

 

 

ではでは~

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