コミュニティの本当の意味を知っているのは一部の人だけ!!

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コミュニティというあいまいに解釈されがちな概念について
今までお話ししてきました。

 

学問的な内容になってきてしまい、読んでくれているあなたも
もうあきあきしだしたと思います。

 

で結論として私がいいたいことは、コミュニティという言葉を
使えば、嘘っぽいことでも本当のように響くということです。

 

だからこそそんなに難しい外国語を使わずに日本的な会話に
でてくる言葉で良いのではないかともおもっているのです。

 

昔ながらの寄り合いでもいいし、仲間内でもよいのです。
要は他人と会話しそこからなにかを感じ取れればよいのだと
思います。

 

だから全く個人どうしの問題なのです。
たまたま喫茶店で横に座った人と会話がはずみ、意気投合すると
そこに生まれる雰囲気や言葉や全てが、コミュニティなのです。

 

それを発展させ4~5人の同好会的になり、仲良くなりいろいろな
話題で盛り上がる機会が増えるのが本当のつきあいだと思います

 

場所はどこでもいいし、メンバーもいろいろなひとが入れ替わり
立ち代わり入ったり出たりするのが、本来の姿だとおもいます。

 

それを強制的にやろうとした、イギリスやフランスではまもなく
崩壊してしまったのです。

 

人間の本性は気まぐれの一言につきます。
だれにも強制されたくないのでが本心だと思います。

 

時たまなにもわからず輪の中に顔を突っ込んでくる人がいます。
がそのうちに自然と輪から外れてゆきます。

 

人間の社会は反面単純な世界だとおもいます。
だからこそ人は集まろうとします。

 

その行為は人間の本来もっている本能なのでしょう。

 

ただその本能が、最近の若者はじめいろんな世代の人たちから
無くなりつつあるのです。

 

スターバックスがはやるのはその一例です。
店内にはずいぶんと人がいると思われますが、よくみると大概が
一人で読書している人、パソコンとにらめっこしている人。

 

明らかに大学の受験勉強をしている人たちがひしめいています。
だから一人一人は繋がっていないのです。

 

私が少し皮肉った言い回しをするのには意味があります。
人間は新しい出会いを求める動物だと思っているからです。

 

新しい出会いが、その人たちをを刺激しあいより良いステージへと
導いて行ってくれれば、出会いの「場」が本来の姿になります。

 

情報化社会では、SNSの発達でますます人が可視化できにくくなっています。
私はFB(フェイスブック)をあまり見なくなりました。

 

人間の心の内の可視化が今後の時代要請になってくるのではないでしょうか?
だからメルマガやブログなどが今だに健在なのだと思います。

 

時代の要請は「本音の場」を求めてゆく道具が登場してくると思います。
短い人生の中でどれだけ「本音」で語り合えた仲間、友達がいますか。?

 

今私たちは「本音」の言えない「場」にたち、翻弄されているのです。
水中でゆらゆらとゆれている、藻のように!!

 

人間にとって不幸ではないでしょうかね。?
日本には昔から本音を言わないのが美徳とする文化があります。

 

だからこそその垣根を取っ払って、また違った美徳になる文化を
産み、育んでゆく「場」をつくれば、日本人も進化するとおもいます。

 

そんな「場」を積極的に創造してゆくことが、多様性のある社会を築く
若い世代のやくわりだ強く思います。

 

ではでは!!

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